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基督教の考察①

八百万の神
日本には「八百万の神」(やおよろずのかみ)という考え方がある。
木々、川、海、果ては米粒の中にも神が宿る。
なので米粒にも感謝して残さず食べるといった、
今でこそ道徳教育で扱われる題材と捉えられているが、元々は自然科学の発達以前の、自然への畏怖からできた概念である。

例えば日本の国土の面積は全世界の0.28%であるが、全世界の活火山の7.0%を有し、マグニチュード6以上の地震の20.5%が日本で起こる。


こういった自然の脅威に晒される中、自然物や自然現象を神格化し民間信仰(民間宗教、民俗宗教、民衆宗教、伝承的信仰とも呼ばれる)となり、人間以外のあらゆるものに神が宿るという感覚を形成するに至ったことは想像に難くない。

自然以外にも、七福神のように福という「事象」にも宿る。1つの事象に1対多でも宿る。「八百万の神」は正に神羅万象に対し神が宿るという考えである。

 

 

 

・宗教、信仰の曖昧さ


宗教とは一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。

 

この定義を「八百万の神」に当てはめてみる。
まず「八百万の神を信仰しているか」という問いに対し、あなたはどう答えるだろうか。
殆どの場合は「八百万の神は信仰していない。八百万の神は昔の人間が考えたもので、今は信者もおらず有効な宗教ではない。」と答えるのではないだろうか。
念のため、本当に信仰していないか確認させてほしい。

八百万の神」を信仰する宗教を以下と定義する。
宗教観念:米ごとに神が内包され、発芽~食事の工程まで大いなる力で助けてくれるのかもしれない
教義:米粒を無駄にしてはならない
儀礼:食事前に米に感謝し「いただきます」と唱える
施設:食卓を活動施設とする
組織:米を食する日本人全員で組織されている

この定義だと、「八百万の神」は日本で教育を受けた多くの日本人が信仰する宗教となる。
おそらくはあなたも「八百万の神」信者ではないだろうか。
もし信じていないのであれば、米粒を無駄にしないという発想は、何を根拠に生まれ、誰からどのように引き継がれて、あなたの常識に刷り込まれたのだろうか。

「いただきます」には「命をいただく」という意味が込められている。他国でも食前の挨拶はあるものの、「命をいただく」の語彙を持つのは日本のみであり、日本ならではの文化とされている。
※日本では家長が先、後に女性や子どもが食事をする箱膳(はこぜん)の文化があり、同時に食べ始める「いただきます」の挨拶文化はここ100年ほど前から始まったなど諸説ある。

食前の挨拶ひとつを取り上げても、普段意識しないような生活様式・価値観を私達が持っており、そうなった経緯が文化なのか宗教なのかを切り離して考えること自体難しいことが分かる。少なくとも「いただきます」は日本の文化、その前提となる食べ物への感謝はある種の民間信仰として、日本人の中に根付いていると言えるだろう。

イスラム教、ヒンドゥー教キリスト教といった、メジャーで歴史のある宗教・宗派を信仰していなくとも、より身近に信仰は存在し、私達に影響を与え得ることは理解頂けたと思う。

 
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